
10月の風には、いつだって予兆の匂いが混じる。路上の金木犀が雨に打たれ、その甘ったるい香りが泥の匂いへと変わり果てた頃。夏の熱気を失った冷たいアスファルトの上を、乾いた風が吹き抜けていく。
この街の「血管」とも言える行政機能の一部は、静かに壊死を始めた。
ベーシックインカム(BI)の導入から半年。世間という名の巨大な水槽は、生存への不安が取り除かれたことで、ある種異様な透明度を保っている。誰もが飢えず、誰もが焦らず、そして誰もが少しずつ退屈に蝕まれ始めている。
そんな中、私は今日、かつて「年金事務所」と呼ばれていた灰色のビルの前を通りかかった。
以前なら、この場所は「怒号」と「嘆願」の聖地だった。受給資格を問う老人たちのしわがれた声、支払いを猶予してほしいと頭を下げる若者の背中、それを無表情にさばく職員たちの機械的なアナウンス。それらが渾然一体となって、独特の熱気を帯びていた場所だ。
だが今、そこにあるのは墓場のような静寂だけだった。
自動ドアは電源が切られているのか、手動でこじ開けられたまま半開きになっている。好奇心というよりは、一種の「参拝」に近い気持ちで、私はその中へと足を踏み入れた。
ロビーの空気は澱んでいた。かつて整理券を吐き出し続けていた発券機は、黒いビニールシートを被せられ、まるで遺体安置所の死体のように並んでいる。カウンターの奥に目をやると、数人の職員が残務処理に追われていた。いや、「追われていた」という表現は正しくないだろう。彼らは、まるでスローモーション映像のように、緩慢な動作で書類をダンボールに詰めていた。
「おい、このファイルの保存期間、どうなってる?」
「もう全部廃棄ですよ。誰も見に来やしませんから」
乾いた会話が、ガランとしたフロアに反響する。彼らが詰め込んでいるのは、ただの紙束ではない。かつて誰かが必死に働き、納め、そして老後の命綱としてすがった「人生の記録」だ。それが今、ただの燃えるゴミとして、産業廃棄物の袋に吸い込まれていく。
私はふと、カウンターの端に置き去りにされた「朱肉」に目を奪われた。蓋が開いたまま放置されたそれは、すっかり乾ききって、ひび割れた赤茶色の土のようになっていた。かつて、この朱色がどれほどの権威を持っていただろう。一枚の申請書にこの赤色が押されるかどうかで、人の生死が決まった時代があったのだ。
「紙の城」の落城だ。
私は心の中でそう呟いた。敵軍に攻め落とされたわけではない。BIという、あまりにも合理的で慈悲深いシステムによって、彼らは戦わずして無力化されたのだ。
職員の一人と目が合った。彼は私を見ると、職業的な反射で「いらっしゃいませ」と言いかけ、すぐに口をつぐんだ。そして、自嘲気味に薄く笑った。その笑顔は、どこか迷子になった子供のように見えた。彼もまた、来年の3月にはこの城を追い出され、私たちと同じ「ただの受給者」になる。人を審査する側から、審査不要で配られる側へ。その転落、あるいは解放。
外に出ると、秋の日はすでに傾いていた。ポケットの中のスマートフォンが震える。今月のBIの支給通知だ。かつてあれほど複雑だった手続きが、今はただの電子音一つで完結する。
便利だ。あまりにも便利で、そして恐ろしいほどにあっけない。私は冷たくなった風にコートの襟を立てながら、乾いた朱肉の残像を振り払うように早足で歩き出した。