バイブコーディングは退屈。自分の手で少しずつ形にしていく過程が楽しい!

バイブコーディングは退屈

画面の向こうでAIが一瞬でコードを書き上げていく。
それは確かに便利だし、魔法のようです。

けれど――
初めて自分の書いた数行のコードが画面の中で動いたあの鼓動まで奪えるでしょうか?

バイブコーディング(AIによるライブ自動生成)は効率的だしスマートです。
でも、多くの人が口にしないだけで、心のどこかできっとこう思っているのではないでしょうか?

「……でも、なんだか物足りない」

理由は簡単です。
形になっていく『過程』こそ、ものづくりの醍醐味なのだから。

きっとあなたも、初めて動いたコードを見て胸が熱くなった瞬間があるはずです。
その小さな奇跡は、決してAIには奪えない。
むしろ、今だからこそ、手で作る喜びが輝きを取り戻し始めているのではないでしょうか?

エラーにすら、物語がある

バイブコーディングはエラーを『飛ばします』。
気づけばAIが修正して、何が起きたかも分からないまま結果だけが返ってくる。

でも、思い出してみてください。
昔のあなたは、たった一つのセミコロンを見逃して夜を明かしました。
画面の前で「何が悪いんだ…」と頭を抱えたあの瞬間。
その苦労の先で、エラーが消えたときのあの快感。
あれは、ただの作業ではありません。
あなた自身の成長の証だったのです。

エラーは、あなたという物語の伏線だった。
そして、自分の指で回収していく過程にこそ、感情は宿るんです。

コードは『音楽』に似ている

バイブコーディングによる自動生成は、言うなれば「完成した曲をただ流す」ようなもの。
だけど、コーディングは本来もっと人間的。
書きながら調整し、スピードを落とし、また加速する。
リズムを刻み、余白の美しさを感じ、関数が整ったときに胸の奥で「カチッ」と音が鳴る。

その小さな快感の積み重ねこそ、創造の醍醐味。
自分の手で触れるコードには、作る人の『温度』が宿っている。

AIが出力するコードは正確で早い。
でも、人が紡ぐコードには『感情の振動』があります。

不格好なコードほど、未来の自分を救う

「もっと綺麗に書けるだろう」
「これ、さらに最適化できるのでは?」

そんな風に自分にツッコミを入れながら書いた過去のコードが、いつか未来のあなたを笑わせたり、教えてくれたりする。
でも、バイブコーディングで生まれた完璧なコードには、その物語がありません。

完璧な答えが出てしまう世界では、失敗も成長も生まれにくい。
だからこそ、不恰好な一行一行のコードがあなたの経験値になります

そして気がつけば、昔苦戦した処理を、今のあなたは一瞬で書けるようになっている。
この「進化の実感」こそ、手を動かしてきた人だけが味わえる特権です。

AI時代の今こそ、手で作る価値が戻ってくる

今、多くの初心者がバイブコーディングに飛びついています。
その気持ちはよくわかります。
でも、同時に、
「AIが書いたコードの意味がわからない」
「少し仕様が変わると何もできない」
という声も増えています。

つまり『仮定をすっ飛ばす』と、理解まで消えてしまうんです。

一方で、コツコツと手を動かす人は強い。
理解が積み重なり、想像の幅が広がり、AIをうまく使いこなす側になれます。
AI時代における最高の武器は、AI任せにするのではなく、自分の手で考え、動かし、理解する力なのです。

その力というのは、コードを『生成』する瞬間には生まれません。
コードを『作る』過程の中でしか育たないのです。

まとめ

バイブコーディングというのは確かに便利です。
でも、それはものづくりの本質ではありません。

たとえ遅くても、不恰好でも、遠回りだとしても――
自分の手で少しずつ形にしていく時間こそが、あなたの創造性を育てる『物語』になります。

そして、その物語はAIには奪えません。

あなたがキーボードを叩く一音一音が、未来の自分を作っていくのです。

今日も、たった一行でいい。
あなたの手で、世界に小さな変化を刻んでください。
その一行が、あなたの情熱を未来につないでいくから。

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