画面の前の五里霧中:動けない自分と、焦る心

「今日は何もやる気が起きないなぁ……」
「何かしたいけれど、何をしたら良いか分からない……」

パソコンの前に座り、深く頭を抱える私。

頭の中では、生活のために何か行動を起こさなければならないのは痛いほど分かっている。
でも、一体何をしたら良いのだろう。

実は、胸の奥でやってみたいことはいくつかあるのだ。
けれど、失敗の二文字が頭をよぎり、足をすくませる。なかなか具体的な「行動」という形にまで結実しない。
人生大逆転を夢見る身としては、とにかく打席に立って行動してなんぼ、という気はしている。

分かる、それは痛いほど分かるんだけど……。

そうやすやすとは動けないのが人間の性(さが)というもの。
もっとフットワークが軽く、活動的な人間ならどんなに良かっただろうと、自嘲気味にため息をつく日々だ。

一歩踏み出す処方箋:五感で受け取る世界の輪郭

「何もしないよりは、散歩でもしたほうが良いかな」

特にすることもなく、行き場のない暇な時間が訪れると、私は決まってスニーカーの紐を結ぶ。

散歩をしている間、私は無心で、ただ歩くことだけに集中する。
チチチ、と鼓膜を揺らす小鳥のさえずりに耳を澄ます。
道端に、誰に気付かれずとも健気に咲いている名もなき花を眺める。
いつもの路地裏にいる、気まぐれな猫をそっと撫でる。

五感をじんわりと刺激していくこの時間は、凝り固まった心をほぐす気分転換にピッタリだ。

また、不思議なことに、ただ足を動かしていると、ふと目の前が開けるような良いアイデアが降ってくることがある。
あれほど机にかじりつき、椅子に座っているだけでは何も浮かばなかったというのに。

ただ歩くという前進:思考の澱を流す準備運動

身体を動かすことで、脳の霧が晴れ、複雑に絡み合っていた思考がスッキリと整理されていく。

何もすることが無い。
何をしたら良いか分からない。

そんな時、私はただ、一歩ずつ地面を踏みしめる。

散歩しているときだけは、まだ見ぬ将来の不安に怯える必要はない。
過去の後悔に囚われることもない。
それは、過去でも未来でもなく、「今この瞬間」の風と光に真っ直ぐ向き合える、贅沢な時間なのだ。

何も思いつかない時の散歩は、決して立ち止まっている無駄な時間などではない。
次に力強く地を蹴り、前へ進むための、大切な心の準備運動なのである。